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トップページ > 地域情報紙 > トップインタビュー(vol.119)

Face to Face Talk【今月のインタビュー】



   鋼を継ぐもの

 冨士日本刀鍛錬所・刀匠  内田 義基  



 富士宮市人穴の山林に、静寂を破る甲高い金属音が響きわたる。鞴(ふいご)が送り出す空気を受けて燃えさかる炎と、豪快に振り下ろされる大槌(おおづち)。その迫力は立ち会う者を圧倒しながらも、どこか厳粛な気持ちにさせる。世界的にも特筆すべき品質と造形美を誇る日本刀作りの現場がここにある。
 富士市出身の刀匠(とうしょう)・内田義基(よしもと)さんは、導かれし鍛刀の幽地と見定めたこの場所に今年4月、『冨士日本刀鍛錬(たんれん)所』を開設した。現代においては美術品や武道用の道具としてのみ製作・所持が認められている日本刀だが、紆余曲折の半生を経た内田さんが目指す道は、単なる道具の製作にとどまらない。脈々と続く伝統を守り抜く覚悟と、自らの生き方にも妥協を許さない気概に満ちた内田さんの姿には深い感銘を受けた。



 FacetoFace119top1世界に冠たる日本刀の「用の美」




ずは日本刀の製作過程について教えてください。


 「鉄といえば鉄鉱石を連想する人が多いかもしれませんが、日本刀の原材料は砂鉄です。『たたら吹き』と呼ばれる日本古来の技術で、炉の中に砂鉄と木炭を交互に入れながら三日三晩火を焚き続けることで、良質な鉄、玉鋼(たまはがね)を得ることができます。たたら吹きは鉄鉱石を使う近代以降の製鉄法と比べると手間やコストの面で大きく劣るため、現在は島根県の奥出雲地方でのみ行われていますが、純度や品質の点では現代の最新技術をもってしても再現できないほど優れています。日本刀にはこの玉鋼の存在が欠かせません。刀鍛冶の仕事としては、玉鋼を炭火で熱して、叩いて、延ばして、折り返して、炭素量を調整しながら精錬する作業、刀の形に整形する作業、表面を研いで彫刻や銘を入れる作業などがあります。高温の炎にさらされる工程もあれば、髪の毛一本分の寸法の違いを見極めるような緻密な工程もあって、いずれもやり直しが利かない作業の連続です。肉体的な負担はもちろん、失敗が許されない中での精神的な負担も大きい、過酷な仕事です。」



日本刀は材料と設備があれば誰でも作ることができますか?


 「いえ、日本刀を製作するには文化庁の指定する実技試験に合格して、美術刀剣類製作の承認を得なければなりません。現在は日本全国で約300人の有資格者がいますが、5年以上の実務経験、つまり修業期間を経ることが前提となるこの試験を通過するのは容易ではなく、合格者が一人もいない年もあります。また製作を許可された刀鍛冶にも作刀制限というものがあり、年間に作ることができる数量にも限りがあります。これは粗悪品や模造品が世に出回らないようにするためでもあります。新しい刀には一本一本に刀匠の名前と製作年月日を刻印することが義務付けられていて、完成と同時に登録証を取得する制度になっているので、その登録証が付属している限りは誰でも所持することが可能です。現在は法律上、武器として刀を所持することはできませんので、居合などの武道で使用する場合を除けば、実際に日本刀で何かを切るという機会はないのかもしれません。ただその一方で、日本刀は精神的な強さや清らかさを象徴するものだという考え方もあります。たとえば、子どもの誕生や端午の節句、嫁入り道具として贈る守り刀や、葬儀の際の枕刀、祈願の際に刀剣を社寺に奉納する風習も残っています。刀鍛冶としては、丁寧に作ったものだけに丁寧に扱ってほしいという気持ちはもちろんありますが、儀礼的な用途から純粋な美術品としての鑑賞まで、日本刀との接し方、向き合い方は手にした人それぞれです。」





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松炭を燃焼させる炉の温度が約1300℃にまで達する工程もある。




内田さんにとっての理想の刀とは?


 「平安時代末期から鎌倉時代初期に作られた『狐ヶ崎為次(きつねがさきためつぐ)』という太刀(たち)が国宝として現存しているんですが、個人的には初期日本刀の実用的な美しさを感じさせる作風が好きで、目標としています。豪快でありながらも派手さはなく、地味で渋い魅力を持った刀が理想です。意外かもしれませんが、生産される鋼の質や刀を作る技術は鎌倉時代を頂点として、時代が下るにつれて衰退しているんです。製法が文書として残っているのはせいぜい江戸時代後期のもので、それ以前の知識や技術はすべて口伝で伝えられてきたために、千年前の刀鍛冶がどのようにして鉄や刀を作っていたのか、研究は進められているものの、それらを正確に知る術はありません。また中世以前の刀は後世の研ぎ減りや戦闘方法の変化による加工が施されていることが多く、健全な形で残っている刀は多くありません。その中で奇跡的に製作当時の姿を残している名刀もあって、山口県の吉川(きっかわ)家に家宝として伝わる狐ヶ崎為次もそのひとつです。」





 子どもの頃の夢は、仙人になること





日本刀に関心を持ったきっかけは?


 「幼い頃から日本の伝統文化全般に興味がありました。小学2年生の時に社会科の資料集で雪舟(せっしゅう)の『秋冬山水図(しゅうとうさんすいず)』という国宝の水墨画を見た時の衝撃は明確に覚えています。室町時代の絵画で、墨の濃淡で深山幽谷の世界を描いた作品ですが、絵の中に引き込まれていくような感覚がありました。マンガやアニメには興味がないのに、水墨画を眺めては『いつか仙人になって、こんな場所に住んでみたい』と本気で思っていました(笑)。そんな経緯もあって、子どもの頃から仏像を描く絵仏師になりたいと考えていました。高校卒業後は実際に京都へ出て絵仏師の修行を始めて、精神修養のために山伏の総本山である聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)にも入門しました。そんな中で刀鍛冶の道に進んだのは、高校時代から学んでいた古武術の宗家からの運命的な一言がきっかけでした。私にとりわけ目をかけていただいた恩師が何かを見抜いたかのように、『お前は刀鍛冶になれ』とおっしゃったんです。半ば命令のような口調でしたが、私が全国各地の刀匠のもとを訪ね歩いた末、関西の著名な刀匠のもとに入門することを許されました。ところがその修行があまりにも厳しく、結局1年も経たずに辞めてしまいました。住み込みの内弟子には衣食住の心配はないものの、早朝から夜まで師匠の仕事が続く限り働いて、日曜も祝日も関係ありません。技術を学ばせてもらう身ですからもちろん無給で、最初の数ヵ月間は敷地の外にすら一歩も出られない毎日でした。当時の自分にとっては師匠やその家族と四六時中生活を共にすることも精神的な負担で、腰を痛めてしまったこともあり、次第に追いつめられていきました。最後は引き止める師匠の言葉も振り切って、逃げ出してしまったんです。」



若くして大きな挫折を経験した、その後の経緯は?


 「失意のどん底にたたき落とされて、生きる希望すら失いかけたこともありましたが、腰のリハビリのために始めた自転車競技に出会い、ひたむきに取り組む中で、心身ともに再び充実してきました。アマチュア競技なので生活費は別に稼がないといけませんが、深夜から昼までアルバイトをして、午後は自転車のトレーニング、帰宅後には筋力トレーニングという生活で、食品工場、牧場、港湾荷役夫など、30種類以上の仕事をこなしました。一銭にもならない競技に入れ込んで、それに合わせてアルバイトを転々とする生活に、周りの目は冷ややかでしたが、そんなことは気にしませんでした。当時はあえて誰にも話しませんでしたが、いつかもう一度刀鍛冶の道に挑戦したいという思いを心の奥底に秘めていましたし、今はとにかく心身を鍛え抜く時期なんだという信念がありました。その結果、自転車競技で30歳を過ぎてから国体や実業団、海外での世界大会にも出場できたことで、『今ならもう一度やれる』という自信を得て、刀鍛冶として再起を図る決意をしました。未習得の技術に対する飢餓感や、自ら苦労と成長を求めて動く貪欲さなど、自転車競技を通じて学んだことは日本刀作りにおいても大いに活かされています。」






種火は消えていなかった

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自転車競技時代の内田さん。2004年、イギリス・
マンチェスターでの競技人生最後のレースの様子。




そして現在に至るまで、文字通り日本刀一本で鍛錬を続けてきた、ということですね。


 「関西での修行時代にお世話になった兄弟子の門を叩いて、再び日本刀の世界に戻ったのが30代半ば。そこから修行を積み直して、刀鍛冶として独立できる製作許可を受けたのは最初の入門から実に20年後のことでした。その後さらに関東での修行や準備期間を経て、今年の春に『冨士日本刀鍛錬所』を開設したという流れですが、本当に自分でも呆れてしまうほど遠回りの半生ですよね。ただ、今にして振り返ってみると、これまでの出来事、出会った人々、周りの環境など、不思議なくらいにすべてがこの場所へとつながっていて、点と点が結ばれるように一本の線になっていったという感覚です。挫折や劣等感だらけの道のりでしたが、ここまで来たからにはもう絶対に引き返しません。例えるなら、『弦(つる)を放れた矢』です。私が作るのは矢ではなく刀ですけどね(笑)。」




 最後までやり抜くことが、答えになる

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富士浅間流の居合抜刀術を学んだ内田さんは
刀を実用する技術にも磨きをかけている。




刀作りを通じて一般の人々に伝えたいことは?


 「まだまだ駆け出しの身ではありますが、大きな視点で言うならば、伝統を継承することの大切さを伝えていきたいという思いは強いです。製鉄技術の西洋化・近代化に伴って均質な鉄を効率的に作ることは容易になりましたが、その一方で日本古来の技術は衰退しました。明治時代の廃刀令や敗戦後のGHQによる刀剣類の接収など、時代背景によるさまざまな要因もありますし、武器に対する忌避感や任侠映画などの影響で、現代では日本刀に悪いイメージを持っている人もいるかもしれません。しかし日本刀に限らず他の伝統工芸や地域の祭りも同様で、伝統を受け継いで後世に伝えていくという行為は、一時代の価値観や利便性だけで判断されるべきものではないと思います。なにより、一度途絶えてしまった伝統は二度と元には戻りません。日本神話における三種の神器のひとつに『草薙剣(くさなぎのつるぎ)』が含まれているように、この国の歴史や文化を語る上で日本刀は欠かせない存在で、日本人の精神性や価値観にも深く関わってきました。多くの人が日本刀について知り、それに付随する伝統や習慣、日本のものづくりの粋に親しむことで、母国を愛する気持ちを育んでもらえると嬉しいです。また、縁あって地元でもある富士山麓で刀作りをさせていただく以上、地域の文化に貢献したいという思いもあります。郷土の誇りと感じてもらえるような刀鍛冶を目指して、これからも努力していきたいです。」





    





 FacetoFace119top5内田 義基

冨士日本刀鍛錬所・刀匠

1969(昭和44)年10月23日生まれ
富士市出身・在住

 
うちだ・よしもと/幼い頃より日本古来の文化・芸術・武道に関心を持つ。鷹岡小・鷹岡中・星稜高校を卒業後、富士浅間(あさま)流居合抜刀術を学んだ縁から刀鍛冶を志す。関西の有名刀匠に師事するも、下積みの厳しい生活環境やケガに苦しみ、わずか1年足らずで挫折。その後23歳で自転車競技と出会い、国体や海外でのレースにも出場するなどの活躍を経て、心身ともに充実し、34歳で刀鍛冶への夢を果たすべく修行に復帰。関西修業時代の兄弟子、松葉國正(まつばくにまさ)氏(宮崎県日向市)に師事し、日本刀製作の技術を磨く。2008年、難関である文化庁・美術刀剣刀匠技術保存研修会の実技試験に合格し、翌年に美術刀剣類製作の承認を得る。その後も全国に知られた名刀匠である吉原義一(よしはらよしかず)氏(東京都葛飾区)らのもとで研鑽を積み、2016年4月に独立。富士宮市人穴の地に『冨士日本刀鍛錬所』を開設し、現在に至る。居合のほか、18歳で修験道の総本山である聖護院(京都市)に入門し、現在は山伏刀匠として准大先達(じゅんだいせんだつ)の階位を持つ。また、伝統文化の基盤となる国を守りたいという思いから、予備自衛官としての顔も持つ。



 冨士日本刀鍛錬所


  富士宮市人穴203-226
  問い合わせTEL:080-6443-7271 (内田)

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熱した玉鋼を鎚で叩き、地金を作る作業。2016年11月13日(日)に富士宮市・西山本門寺で開催される
『信長公黄葉まつり』では日本刀製作の実演を披露する予定。




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島根県・奥出雲地方でのみ産出される玉鋼。鍛錬の過程で
不純物が取り除かれるため、日本刀を作るにはその重量の
約7倍の玉鋼が必要になるという。

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